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血脈をたどる [日記・ざれごと]

1/2(金) [雪]のち[晴れ][曇り]

明け方降った雪で白~くなっていました。
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先月の大雪ほどは降らなかったのでお昼にはほとんど融けちゃいました。


この日は、うちのおばあちゃんの実家でもある従兄弟のc2の実家に行って、おじい様のお墓参りをして、すき焼きと寿司を食べるだけだったので、ネタが無くて記事upする予定は無かったのですがぁ…


思わぬネタが飛び出してきたので、upしないわけにはいかなくなりました。


 
我がN家の血脈は、おばあちゃんが養女に入った上におじいちゃんが婿養子に来ているので、遺伝子的にはそれ以前とは完全に無関係になっているのですが、その血脈を辿ると落ち武者だったという新事実が飛び出してきました。

なんでも、元々はMAKIと言う名字で、幡豆(現在の愛知県西尾市で蒲郡市の西に位置する)から北上して岡崎の山中に落ちのびて、その間に二度の改名をしてN家となったらしい。
残っている戸籍は明治時代のN家のもので、それ以前に何て名前でどこに住んでいたとかの記録が無いので、真偽は定かではない。
生まれは確かに江戸時代(戸籍上生まれは嘉永となっていた)なので、落ち武者になったのは江戸末期?
明治維新の際に落ち武者となったという事か?
実は廃刀令とかで単に武士でなくなっただけなのかも?
などなど…想像はできる。


で、その人の長男の多重(“たじゅう”と読みます)という人が明治時代にハワイへ渡って大金を掴んで日本に送り、大きな土地(田畑・山含む)を買ったという話なんだけど、そんな与太話を誰が信じるのか?とc2が言ったところ、「手紙がある!」と言ってc2の母親がハワイから送られてきたという手紙を出してきました。
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達筆すぎて内容がよくわからなかったんですが、読める文字を拾っていくとハワイだけでは無く、どうやらサンフランシスコにも渡っているらしいという事もわかってきました。
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上の写真は多重さんが勉強してた本だとのことですがぁ…
多重さんが「学生だった」とか「(学費稼ぐために)仕事もしてたんじゃない?」ってなことをおっしゃってましたが、学生としてハワイに行き、勉強の合間に仕事してたとして、山が買えるほど稼ぐことなどできるはずがないと思う。
うまい話をふっかけられて南北アメリカ大陸に渡って奴隷のようにコキ使われたって人たちも多かったけど、そのパターンでもやはり山を買えるほど稼ぐことはできなかったはず。
というか、いずれも日本に送金する余裕など無かったはずでしょう。

で、手紙には差出人の所に“なんやら商店(商会かも?)”という名称も見受けられたので、留学とかでハワイに渡ったわけでは無く、ものすごいヤリ手の商社マンだったのではないか?との推論に達する。
あるいは天才詐欺師だったという話も…[あせあせ(飛び散る汗)]

手紙の内容が解読できれば多少は何をやっていたかわかるかもしれないのだけど、現時点で読める人が居ないので真実はわからないまま。
この手紙は明治35年のもので、手紙がいつまで来てたのかも不明ですが、手紙が来なくなって音信不通になったことで亡くなったと判断されたらしい。

N家の財を築いた多重さんに子孫が居たかどうかは不明なので、その血脈はそこで絶えたものと戸籍上はなっている(戸籍謄本も見せてもらいました)わけですが、多重さんには妹(名前忘れちゃった[あせあせ(飛び散る汗)])が居て、その血脈が今のN家に繋がってきます。

多重さんの妹の娘が、うちのおばあちゃんの養母ってことかな?(指さしてる人)
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「この人、知らん?」
と聞かれても、知らんし[ふらふら]
もしかしたら仏間の壁に掲げられている写真のご先祖様なのかもしれないけど、撮られた年齢が違い過ぎて同じ人物かも判別つかないし…



でもって、うちのおばあちゃんのホントの兄弟の話になっていく。

戸籍謄本を見ると、おばあちゃんはM家からN家へ養女になっていることが記されている。
おばあちゃんのホントの兄弟はたくさん居て、矢作駅近くに居るおじさん(おばあちゃんの兄なのか弟なのかよくわからない…)がM家の本流だということをここで初めて知りました。
子供の頃にチラッと聞いた話から、おばあちゃんは東京のSJ家(M家の分流ということになりますね)から来たと思い込んでいたのだけど、どういう縁で東京から養女に来る事になったのだろう?と長年不思議には思っていました。
現在のM家は矢作に移りましたが、元はもっとN家に近い場所に居たとのことで、その距離関係なら養女にするやりとりがあっても無理が無いな~と思ふ。

東京のSJ家の人は、多分二十歳くらいの時の曾祖父の法事に来てもらってるとは思うんですが、顔とか知らないのでぜんぜんわかりません。

うちから4kmほどの戸崎町に居るSS家のおじさんもおばあちゃんのDNA的な兄弟で、僕はおばあちゃんのアッシーくんだったので、おばあちゃんがボケる前には矢作のM家と戸崎のSS家に盆と正月には連れて行ってました。
なので、こちらの人達はよく知っています。

徳島の親戚もおばあちゃんの兄弟の一人なわけですが、小5の時に一度遊びに行ったことがあるけれども、曾祖父の法事の時に会って「憶えてる?」って聞かれても、ぜんぜん顔を憶えて無くて困っちゃいましたけどね。

詳しい関係を聞くタイミングを逃しちゃったので、どの人がどういう親戚なのか?というのがけっこうわからないままここまで来ちゃったけど、おばあちゃんがボケる前にその辺はちゃんと聞いておかなければならなかったんですよね~。
うちのアニキは親戚づきあいに非常に消極的だったので僕以上に親戚の事を知らなくて、何年か前におばあちゃんがちょっとヤバイ!ってなった時に「どこの誰に連絡したらイイのか、サッパリわからん!」と言ってましたがぁ[爆弾]



そして、一番興味を惹かれたのがおじい様の戦死の通知。
150102-05.jpg
こんなのも残ってたんだ~[もうやだ~(悲しい顔)]
「比島方面(レイテイ島)」って書いてありますけど、フィリピンのレイテ島の事ですね。
その付近で軍艦と共に海に沈んだわけです。
終戦の数か月前のことですけど。

「水兵長」ってありますけど、三階級特進で水兵長になったので、元は一番下っ端です。

あと、うちにあるおじい様の水兵姿の写真ってすごく若く写っているので、へたすると10代で出兵したのか?とさえ思ってたんですが、明治43年生まれで昭和20年に戦死してるってことは30過ぎてたってことじゃんね?
おばさんが「歳いってたから徴兵されるとは思ってなかったみたい」と言ったので、そこで初めて気付いたというか、ちゃんと聞いたことが無かったというか…
よくよく考えればc2の母親とうちの母親の年齢差を考えれば10代は絶対有りえないことはすぐに判ったはずなんですけど…。

昭和18年の出兵時、c2の母親は6歳、うちの母親は2歳で、広島まで見送りで行ったそうです。
ただ早朝の出港で、c2の母親が寝てる間に行ってしまったので、最期の姿は見ていないんですって。
もちろんうちの母親は2歳だったので、おじい様の記憶すらないわけですけどね。



とまぁ、こんな感じで、先祖返りの旅をした正月二日だったのでした。

いつもと違う正月…

こんな話題が出てきて、なんか嫌~な想像がよぎりますがぁ[たらーっ(汗)]



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コメント 4

さる1号

正月に皆が集まってご先祖様の話題
盛り上がりそうですねぇ( ̄▽ ̄)

by さる1号 (2015-01-03 09:48) 

はなぶく宇宙人

これは興味深い。
さらに詳しいことが判明すると良いですね^^
by はなぶく宇宙人 (2015-01-03 11:28) 

kei

自分も先祖のことが知りたいです。
by kei (2015-01-03 22:26) 

よっすぃ〜と

今まで、こういう話題って深くしたこと無かったので、何か特別な事が起こるのかな~?と若干不安に感じてます(^^;
 >さる1号さん

ハワイに渡った人が一体何をしてそれだけ稼ぐことができたのか?最終的にどうなったのか?知りたいですけどね~(^^
 >はなぶく宇宙人さん

ご両親とか親戚とか、少しでも先祖の手掛かりを知っている人が健在なうちに確認しておくと良いでしょう(^0^)
 >keiさん
by よっすぃ〜と (2015-01-10 21:20) 

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