ひさびさの城攻め【安土城址編】 [城日記]
10/11(土) /
年休取得推奨日ということで13日に休みをもらうことになって世間様と同じ三連休の週末となったので、当初予定では連日の残業で疲れた体を土曜に回復させ、日曜(10/12)に富山側から黒部ダムリベンジ(日帰り強行日程)を行うつもりでいましたがぁ…。
台風接近により特に夕方以降の天候が不安になったため予定前倒しして土曜決行にしようかとも思ったのですが、肉体的にやっぱりきついし、どうせ富山側から行くのなら春の雪の壁を見たいし、立山の山の上のホテルに泊まって余裕のある行程で行くことを考えた方がイイんじゃないか?とか思って黒部リベンジは先送りとしました。
で、代案として「遠すぎず近すぎず、ダム探検or城攻めができるところ」を考えて、琵琶湖のほとりの三城(安土城(址)・彦根城・長浜城(址))攻めを立案!
細かいタイムスケジュールは考えている時間は無かったので、ザックリと7時くらいに出発して10時くらいに安土城址に着ければイイだろうなんていう甘い考えでいたのですが、結局起きたのが7時で出発が8時となって、いきなりのつまづき
天気予報では“晴れ”のはずなのに、なんだか怪しい空模様だし…
まぁ、一応カッパマン装備も搭載して出発です。
東名から伊勢湾岸に入って、サクっと湾岸長島PAへ
施設内は朝から観光バスの団体さんでごった返していた
三連休だからね~
とりあえず、大肉まんでブレックファストでございます。
安土へ至るルートとしては、東名→伊勢湾岸→東名阪→新名神で草津まで行き、栗東ICで降りてR8を北上するつもりでした。
が、「四日市→鈴鹿14km渋滞」の情報を見て、湾岸長島を出てすぐの湾岸桑名ICで降りて、K69→R258→R421と員弁(いなべ)まで北上し、八風街道(R421)で八日市へといたる。
「小脇町」の変則的な交差点を直進してK206→K201で西の湖を目指し、ごちゃごちゃっとした古い街並みを抜けたら、安土城址に到着。
八日市の市街地の混雑のせいでだいぶロスしたので、到着したのが10時45分。
スケジュール的にだいぶ厳しくなってきたので、この時点で長浜城はキャンセル決定って感じ。
ん? こっちからは登れないみたいですね。
あっちが、正しい登城口のようだ。
駐車場のそばにはトイレと、休憩所というか情報センター的な施設があって、そこに安土城上部の模型がありました。
ふむふむ
大手門があったとされる場所の両サイドに延びる石塁(石垣)。
まっすぐ延びる大手道の入り口に受付があり、500円を払って登城いたします。
大手道に入ってすぐ右手に伝前田利家邸跡、左手に伝羽柴秀吉邸跡がありますよ。
この“伝”っていうのは、正確な資料などは無く、「そのように伝えられている」という事だそうで、本当にそこが前田利家邸や羽柴秀吉邸だったかは定かではないらしい。
まずは伝前田利家邸から
こちらは虎口の部分にしか入ることができず、主殿があったあたりは竹藪になってて調査が進んでいないとのこと。
ただ、虎口の奥に細い通路状の登り坂があり、そこに木樋(もくひ)という台所排水用の樋(とい)が発見されたそうです。
続いて、伝羽柴秀吉邸跡
こちらは調査が進んでいて、大手道から入ったところに櫓門(跡)があり、その奥にかなり広い厩(うまや)があります。
かなり高い石垣の中段に通路があり、そこを通って石垣の上に行くと主殿跡が広がります。
相当でかい屋敷が建ってたようですよ。
大手道に戻ると、伝前田利家邸跡の上側に位置する摠(そう)見寺仮本堂が見えます。
摠見寺は後程出てきますが、こちらは昭和7年に伝徳川家康邸跡に建てられたものだそうです。
こちらを拝見するには+500円必要ってことでパスしましたがぁ…
大手道の真っ直ぐな部分を登りきったところで振り返ってみると…
安土山の南に広がる田園地帯がイイ感じです。
ここから少々曲がりくねった石段が続きます。
真っ直ぐな部分も結構な勾配でしたが、さらに勾配がキツくなって腿上げが厳しくなってきました。
気温的には涼しいのですが、かなり汗ばんできています。
これ、夏場だったら滝のような汗が流れてただろうな~
天主へいたる分岐(信忠邸跡)までにもちょこちょことなにやらありますが…
武井夕庵って誰?
まだまだ続く石段
ようやく天主の入り口となる黒金(くろがね)門跡に到達
なにやら大きな足跡が…
二ノ丸跡・信長公本廟
本丸跡
そして、天主へ
安土城が他の城と決定的に違うのが、この天主にあります。
特異な形状の建物だっただけでなく、通常の城では天守と呼ばれますが、安土城のそれは天主なのです。
安土城は戦闘要塞ではなくランドマーク的なものだったらしい。
姫路城や熊本城に代表されるように、通常の城郭は天守に至る経路は迷路状にして侵入者の進路を阻むように造るのがベスト。
にもかかわらず、真っ直ぐに延びる大手道からしても明らかに戦闘防御力の低いのがわかりますよね。
完成からわずか三年で焼け落ちた天主閣…
今日はガスってて琵琶湖が霞んじゃってますが、雄大な琵琶湖のパノラマが信長の野望を駆り立てていたのでしょうけど、そこに油断もあったのでは?
しばしパノラマを堪能しながら汗を乾かし下山します。
と言っても来た道を戻るわけでは無く、摠見寺跡の方へ回り込んでいきますよ。
摠見寺は安土城築城に伴って織田信長によって建立されたものですが、安土城天主閣とは別に安政元年に焼失しています。
唯一、三重塔だけが残っています。
三重塔から下って行くと門が見えました。
二王門です。
最初に到着した場所の方に降りて行きます。
80歳くらいの老夫婦が難儀しながら降りていましたが、かなり急勾配の石段なので僕でもしんどかったです。
下りは下りでしんどいんですよね。
通行止めになってるところは上から見る限りでは、特に問題があって通れないというわけでは無さそう。
入り口が二ヵ所になるとお金を徴収する人員が増えるので、人件費削減のためとかってことなんじゃないのかな~?って思ったりする
どこに出るのかな~?と思っていたら、伝羽柴秀吉邸跡の厩の所に戻りました。
入口・受付の脇には自販機ブースがあるので、乾ききった喉を缶コーヒーで潤します。
先にペットボトルとか買って登って行った方が良かったですね。
想像をはるかに超えたスケールだった安土城!
この時点でお昼を過ぎてしまいました。
この後、『信長の館』なる施設にも行くので、もはや彦根城を攻める時間的余裕も無さそうです。
というわけで、今回の城攻めは安土城オンリーの方向に軌道修正して、【信長の館編】へと続く
年休取得推奨日ということで13日に休みをもらうことになって世間様と同じ三連休の週末となったので、当初予定では連日の残業で疲れた体を土曜に回復させ、日曜(10/12)に富山側から黒部ダムリベンジ(日帰り強行日程)を行うつもりでいましたがぁ…。
台風接近により特に夕方以降の天候が不安になったため予定前倒しして土曜決行にしようかとも思ったのですが、肉体的にやっぱりきついし、どうせ富山側から行くのなら春の雪の壁を見たいし、立山の山の上のホテルに泊まって余裕のある行程で行くことを考えた方がイイんじゃないか?とか思って黒部リベンジは先送りとしました。
で、代案として「遠すぎず近すぎず、ダム探検or城攻めができるところ」を考えて、琵琶湖のほとりの三城(安土城(址)・彦根城・長浜城(址))攻めを立案!
細かいタイムスケジュールは考えている時間は無かったので、ザックリと7時くらいに出発して10時くらいに安土城址に着ければイイだろうなんていう甘い考えでいたのですが、結局起きたのが7時で出発が8時となって、いきなりのつまづき
天気予報では“晴れ”のはずなのに、なんだか怪しい空模様だし…
まぁ、一応カッパマン装備も搭載して出発です。
東名から伊勢湾岸に入って、サクっと湾岸長島PAへ
施設内は朝から観光バスの団体さんでごった返していた
三連休だからね~
とりあえず、大肉まんでブレックファストでございます。
安土へ至るルートとしては、東名→伊勢湾岸→東名阪→新名神で草津まで行き、栗東ICで降りてR8を北上するつもりでした。
が、「四日市→鈴鹿14km渋滞」の情報を見て、湾岸長島を出てすぐの湾岸桑名ICで降りて、K69→R258→R421と員弁(いなべ)まで北上し、八風街道(R421)で八日市へといたる。
「小脇町」の変則的な交差点を直進してK206→K201で西の湖を目指し、ごちゃごちゃっとした古い街並みを抜けたら、安土城址に到着。
八日市の市街地の混雑のせいでだいぶロスしたので、到着したのが10時45分。
スケジュール的にだいぶ厳しくなってきたので、この時点で長浜城はキャンセル決定って感じ。
ん? こっちからは登れないみたいですね。
あっちが、正しい登城口のようだ。
駐車場のそばにはトイレと、休憩所というか情報センター的な施設があって、そこに安土城上部の模型がありました。
ふむふむ
大手門があったとされる場所の両サイドに延びる石塁(石垣)。
まっすぐ延びる大手道の入り口に受付があり、500円を払って登城いたします。
大手道に入ってすぐ右手に伝前田利家邸跡、左手に伝羽柴秀吉邸跡がありますよ。
この“伝”っていうのは、正確な資料などは無く、「そのように伝えられている」という事だそうで、本当にそこが前田利家邸や羽柴秀吉邸だったかは定かではないらしい。
まずは伝前田利家邸から
こちらは虎口の部分にしか入ることができず、主殿があったあたりは竹藪になってて調査が進んでいないとのこと。
ただ、虎口の奥に細い通路状の登り坂があり、そこに木樋(もくひ)という台所排水用の樋(とい)が発見されたそうです。
続いて、伝羽柴秀吉邸跡
こちらは調査が進んでいて、大手道から入ったところに櫓門(跡)があり、その奥にかなり広い厩(うまや)があります。
かなり高い石垣の中段に通路があり、そこを通って石垣の上に行くと主殿跡が広がります。
相当でかい屋敷が建ってたようですよ。
大手道に戻ると、伝前田利家邸跡の上側に位置する摠(そう)見寺仮本堂が見えます。
摠見寺は後程出てきますが、こちらは昭和7年に伝徳川家康邸跡に建てられたものだそうです。
こちらを拝見するには+500円必要ってことでパスしましたがぁ…
大手道の真っ直ぐな部分を登りきったところで振り返ってみると…
安土山の南に広がる田園地帯がイイ感じです。
ここから少々曲がりくねった石段が続きます。
真っ直ぐな部分も結構な勾配でしたが、さらに勾配がキツくなって腿上げが厳しくなってきました。
気温的には涼しいのですが、かなり汗ばんできています。
これ、夏場だったら滝のような汗が流れてただろうな~
天主へいたる分岐(信忠邸跡)までにもちょこちょことなにやらありますが…
武井夕庵って誰?
まだまだ続く石段
ようやく天主の入り口となる黒金(くろがね)門跡に到達
なにやら大きな足跡が…
二ノ丸跡・信長公本廟
本丸跡
そして、天主へ
安土城が他の城と決定的に違うのが、この天主にあります。
特異な形状の建物だっただけでなく、通常の城では天守と呼ばれますが、安土城のそれは天主なのです。
安土城は戦闘要塞ではなくランドマーク的なものだったらしい。
姫路城や熊本城に代表されるように、通常の城郭は天守に至る経路は迷路状にして侵入者の進路を阻むように造るのがベスト。
にもかかわらず、真っ直ぐに延びる大手道からしても明らかに戦闘防御力の低いのがわかりますよね。
完成からわずか三年で焼け落ちた天主閣…
今日はガスってて琵琶湖が霞んじゃってますが、雄大な琵琶湖のパノラマが信長の野望を駆り立てていたのでしょうけど、そこに油断もあったのでは?
しばしパノラマを堪能しながら汗を乾かし下山します。
と言っても来た道を戻るわけでは無く、摠見寺跡の方へ回り込んでいきますよ。
摠見寺は安土城築城に伴って織田信長によって建立されたものですが、安土城天主閣とは別に安政元年に焼失しています。
唯一、三重塔だけが残っています。
三重塔から下って行くと門が見えました。
二王門です。
最初に到着した場所の方に降りて行きます。
80歳くらいの老夫婦が難儀しながら降りていましたが、かなり急勾配の石段なので僕でもしんどかったです。
下りは下りでしんどいんですよね。
通行止めになってるところは上から見る限りでは、特に問題があって通れないというわけでは無さそう。
入り口が二ヵ所になるとお金を徴収する人員が増えるので、人件費削減のためとかってことなんじゃないのかな~?って思ったりする
どこに出るのかな~?と思っていたら、伝羽柴秀吉邸跡の厩の所に戻りました。
入口・受付の脇には自販機ブースがあるので、乾ききった喉を缶コーヒーで潤します。
先にペットボトルとか買って登って行った方が良かったですね。
想像をはるかに超えたスケールだった安土城!
この時点でお昼を過ぎてしまいました。
この後、『信長の館』なる施設にも行くので、もはや彦根城を攻める時間的余裕も無さそうです。
というわけで、今回の城攻めは安土城オンリーの方向に軌道修正して、【信長の館編】へと続く
急こう配の石段でこの規模
攻める方も大変だったろうなぁ
迷路にしなかったのは何故でしょうね
攻められることを考えなかったのかな・・・--;)
by さる1号 (2014-10-12 07:16)
こんにちは!
広い☆
石段 ハンパないですね☆
体力測定する気合いで行かないと・・・
甘く見てたら返り討ち^^;
by ちゅんちゅんちゅん (2014-10-13 16:34)
戦闘要塞にするつもりは無かったので、信長自身が馬で駆け上がれるようにと大手道を真っ直ぐにしたという話があります。
>さる1号さん
石段のぼるのが大変という話は聞いていたので覚悟はしてましたが、これだけの規模のものとは思いませんでした(^^;
>ちゅんちゅんちゅんさん
by よっすぃ〜と (2014-10-13 18:23)
ホントだ、あらぬ疑いをかけて申し訳ありませんでした。
一汗かいた感じですかね。
by わたべ (2014-10-16 18:32)