よしさんぽ【二十七曲がり編】 [日記・ざれごと]
5/4(水)
今日も快晴のツーリング日和でしたが、バイクにも車にも乗らず自分の脚で東海道を歩いてきました。
スマホの歩数計によると19,656歩歩きました。
20kmくらい歩いたのかなぁ?
とりあえず、大長編になっちゃうので二部構成にするとして、今回はメインイベントの『東海道岡崎宿二十七曲がり』をお送りいたします。
まず電車に乗って名鉄・東岡崎駅まで行ったのですが、いきなりのハプニングは次回で紹介いたします。
東岡崎駅からスタート地点の根石まで約2kmを歩いてすでにじんわり汗が…
ここが二十七曲がりのスタート地点『冠木門』です。※江戸から京都への道中を想定
東海道はポキポキと27回折れ曲がりながら岡崎城を迂回するルートを通るのです。
これは敵が岡崎城へすんなりと入ってこれないようにするための防御です。
家康が関東へ移封されて秀吉配下の武将が岡崎を治めて城郭整備をする際に小田原城に倣って”総構え”を構築し、東海道を迂回させたようです。
石碑が黒くてよく見えねぇ…
まぁ総構えっつったって、たった五万石の岡崎領ですから小田原城と比べると相当スケールのちっちゃいものになっちゃうんですがぁ
それでは”よしさんぽ”スタートです!
先ほどのスタート地点から北へ140mほどテクテク行くと…
『い』
最初の曲がり角になります。
『岡崎城東入口』とありますので、ここから岡崎城の縄張りということになりますね。
西へ650mテクテク
『ろ』
二つ目の曲がり角ですが、直進では無く微妙な角度で曲がっています。
この本多さんは忠勝さんと関係あるのでしょうか?
多分関係ないだろうなぁ~
ちなみに以前派遣先で一緒に仕事していた本多さんは本家ではありませんが忠勝さんの血縁筋だと言ってました。
鉄工所のところで再度微妙に曲がっていましたが、そこはカウントされず…
『ろ』から310mテクテクして
『は』
40mほど北上したところに常夜灯がありました。
ジムニーが映り込んじゃってよく見えませんがぁ…
岡崎も空襲で街中はほとんど破壊されてしまいましたが、状態の良い部分を保存したそうです。
『は』から80mテクテクして伝馬通りに突き当たったところで
『に』
ここから西へ
次の曲がり角まで距離があったので、途中で不安になってスマホで観光案内の資料を確認しようとしたところ、PDFを開くのにめちゃめちゃ時間がかかってイラチです。
スマホ用にもっと軽いデータを用意してくれよな!
ってか、スマホだと見難いから紙に印刷して持ってくればよかったぁ~
とある交差点で北の方を見ると、真宗大谷派の別院が見えました。
うちは真宗大谷派なので、おばあちゃんを連れて一度だけあそこへ行ったことがあります。
もう30年くらい前になると思うけど。
老舗の和菓子屋さん『備前屋』
ここの『あわ雪』は有名(?)なお菓子ですが、大元は岡崎名物の『あわ雪豆腐』というあんかけされた豆腐で、それを模した形で卵白をゼラチンで固めて豆腐のように見立てたお菓子が『あわ雪』です。
まだ序盤なので荷物になるのが嫌だったので寄りませんでしたが、帰りにどこかで買って行こうと思っていたらすっかり忘れて帰ってしまったのでした
『備前屋』のところから『伝馬歴史プロムナード』といって、いろんな石彫刻が配置されています。
伝馬通の反対側にも彫刻は置かれているので、全部で20体くらいの彫刻があるのかな?
この地図は見やすいね。
スタート地点にもこういうのが欲しかったな
『に』から西へ660mテクテクして
『ほ』
さっきに地図には西本陣跡は「現在映画館」と書かれていましたが、かなり昔に映画館無くなってますから~
あの地図はいったいいつ作られたものなのだろうか…
南へ曲がったところにオカザえもん!?
シャチハタだって!ちょっと欲しいな
60m南下して
『へ』
ん?なんだこれ
ちょっと意味がわからなかったんだけど…
「西京いせ道」は西→京伊勢道ということで、京都。伊勢に向かう道ということだろうけど、「東 京みち」は東京への道ということか?
「きらみち」はその時は何のことかわからなかったのだけど、おそらく吉良道=吉良への道ということだろう。
ずっとこんな感じしといてくれると助かるんだけどなぁ
って言ってる矢先にどっちへ行ったらよいのかわからなくなったぞ!
とりあえず『籠田公園』へ向かって進み始めたら斜めに異質な道筋があって、「あ、テレビで紹介してた道だ!」ってわかったのであった。
っちゅうか、さっきのどっちへ行って良いかわからなくなったところで斜めに折れてるんだけど、あそこはカウントされないのか?
※ちなみに迷ったところが「籠田総門」らしい。
伝馬通の向こうの『籠田公園』は高校生くらいまでに見覚えのある光景とは全く違う公園へと変貌していたのであった。
高校生くらいまでの記憶では公園を斜めに通過する東海道の道筋は無かったはず。
なんか大仰なネーミングが付いてますよ。
お洒落空間と化した公園を縦断すると『籠田総門角常夜灯』
なになに?大正時代に移設したことによって空襲を免れ、再移設で戻ってきたとな。
にしても、ここもまた西へと折れ曲がってんだけど、ココもカウントされないのか?
西へと進んで行くと、かつての岡崎の中心地へ
写真左手の方、一本南の通りが『康生通り』といって、ジャス南ことジャスコ岡崎南店(現在はAEON)ができるまでは岡崎の商業の中心地でした。
『康生』はその名のとおり、家康の生まれた地ってことです。
連尺通の南側を歩いてきたけど、次の曲がり角は道の北側にあったぜ!
『と』
安全をしっかり確認して横断させてもらいますよ。
細道を80m北上すると
『ち』
西へ100mテクテク
『り』
あれ?ここも本町通りなのか?
北へ150mテクテク
『ぬ』
なんだこれ!?
ゴージャスバス停!!
マヂか!?
西へ350mテクテク
『る』
ふむふむ。伊賀川沿いに南下して次の橋を渡るのだな。
やっと天守が見えてきた。
リブラ(図書館)もこうして裏側からマジマジと見るのは初めてかも。
そして、天守からは遠ざかっていく…
『る』からクランクしながら190m
『を』
西へ45mテクテク
『わ』
急に案内標識がしょぼくなったぞ!
細道を南下していくと…
温泉!?
『龍城温泉』ですと!
こんなとこに温泉があるなんて知らなかったなぁ~
南下を続けるとR1にぶち当たります。
当然そこを渡ることはできないので東の信号を渡るか、西の陸橋を渡るかしないといけません。
既に足腰の疲労はかなりのものになっているので陸橋を登るのは相当キツイ!
ってことで信号を渡ります。
天守よ!後で行くから待っておれ~
R1を横断したら西へ
ここはちょっと特殊な道の構造ですね。
R1と歩道の間にもう一本車道が通っています。
この先R1へ合流することもできますし、その先のR248との交差点を通らずに左折してR248へ入ることもできます。
『か』
ここは道標と案内板が離れていてわかりづらいね。
細道を南下すると、懐かしい井戸ポンプが!
これ、水出るのかしら?
おぉ! 親切に次の角を曲がれと案内してくれている。
『よ』
バイクだったら確実に見落とすね。
R248を横断しろと言っています。
『た』
『松葉総門跡』岡崎城西出入口とありますので、岡崎城の縄張りはここまでっちゅうことですな。
それにしても、ここ角度が付いてるようには見えないんだが…
西へ400m進んで、愛環(愛知環状鉄道)をくぐって
『れ』
向こうに見えるのは二大八丁味噌蔵の一つ『まるや八丁味噌』の蔵見学受付。
あっちは『カクキュー』の施設
そして、ここが『二十七曲がりツアー』のゴールとなります。
あら、八名信夫さんの手形だわ。
って、『れ』ってことは17しか無いんですけど~
いろはがあてがわれてない角も数えていっても24前後だし、PDFには「この先も二十七曲りは続きます」と書いてあるし…
先へ進んでみましょう!
「まるや八丁味噌」と「カクキュー」の味噌蔵の間を抜けて西へ
どんつき
ん?
どっち行けばよいんだ?
ここで勘違いをしてしまいました。
京都へ向かっているはずなので、左が江戸だったら右へ行かないといけませんよね。
なのに左へ行ってしまったのです。
どんつき
名鉄に突き当たったところに諏訪神社がありました。
こんなところに諏訪の分社があるとは思わなかったな。
線路沿いの道は岡崎城の方向へ向いていますが車は通れませんし、どこまで続いているかわかりませんので来た道を戻ることにします。
で、本当はさっきの「左 江戸」の所を右に行って、今は無き江戸時代の矢作橋のところまで行ったら本当のゴールでした。
そこまで行っていろはでカウントしてない曲がり角を全部足すとおそらく「二十七曲がり」は完成すると思います。
気付いたのは岡崎公園へ行った後だったのでやり直すには遅すぎました。
これはリベンジしないとイカンかなぁ~
で、もう一つ考えたのは、せっかく家が東海道沿いにあるんだから、家からずっと東海道を歩いて行くってのもアリかも?
うちから根石のスタート地点までは、おそらく4~5kmくらいなので、東岡崎から約2m+家から美合駅までの700mを考えたら、ほんの2~3km増えるだけだもんね。
あるいは
自転車で走破するという手もあるな。
夏場はきついので、冬場とか来年のGWにリベンジしてみましょうかね。
というわけで、【二十七曲がり編】はこれで終了といたします。
次回はトータルの”よしさんぽ”をお送りしたいと思いますので、また見てくださいませ。
今日も快晴のツーリング日和でしたが、バイクにも車にも乗らず自分の脚で東海道を歩いてきました。
スマホの歩数計によると19,656歩歩きました。
20kmくらい歩いたのかなぁ?
とりあえず、大長編になっちゃうので二部構成にするとして、今回はメインイベントの『東海道岡崎宿二十七曲がり』をお送りいたします。
まず電車に乗って名鉄・東岡崎駅まで行ったのですが、いきなりのハプニングは次回で紹介いたします。
東岡崎駅からスタート地点の根石まで約2kmを歩いてすでにじんわり汗が…
ここが二十七曲がりのスタート地点『冠木門』です。※江戸から京都への道中を想定
東海道はポキポキと27回折れ曲がりながら岡崎城を迂回するルートを通るのです。
これは敵が岡崎城へすんなりと入ってこれないようにするための防御です。
家康が関東へ移封されて秀吉配下の武将が岡崎を治めて城郭整備をする際に小田原城に倣って”総構え”を構築し、東海道を迂回させたようです。
石碑が黒くてよく見えねぇ…
まぁ総構えっつったって、たった五万石の岡崎領ですから小田原城と比べると相当スケールのちっちゃいものになっちゃうんですがぁ
それでは”よしさんぽ”スタートです!
先ほどのスタート地点から北へ140mほどテクテク行くと…
『い』
最初の曲がり角になります。
『岡崎城東入口』とありますので、ここから岡崎城の縄張りということになりますね。
西へ650mテクテク
『ろ』
二つ目の曲がり角ですが、直進では無く微妙な角度で曲がっています。
この本多さんは忠勝さんと関係あるのでしょうか?
多分関係ないだろうなぁ~
ちなみに以前派遣先で一緒に仕事していた本多さんは本家ではありませんが忠勝さんの血縁筋だと言ってました。
鉄工所のところで再度微妙に曲がっていましたが、そこはカウントされず…
『ろ』から310mテクテクして
『は』
40mほど北上したところに常夜灯がありました。
ジムニーが映り込んじゃってよく見えませんがぁ…
岡崎も空襲で街中はほとんど破壊されてしまいましたが、状態の良い部分を保存したそうです。
『は』から80mテクテクして伝馬通りに突き当たったところで
『に』
ここから西へ
次の曲がり角まで距離があったので、途中で不安になってスマホで観光案内の資料を確認しようとしたところ、PDFを開くのにめちゃめちゃ時間がかかってイラチです。
スマホ用にもっと軽いデータを用意してくれよな!
ってか、スマホだと見難いから紙に印刷して持ってくればよかったぁ~
とある交差点で北の方を見ると、真宗大谷派の別院が見えました。
うちは真宗大谷派なので、おばあちゃんを連れて一度だけあそこへ行ったことがあります。
もう30年くらい前になると思うけど。
老舗の和菓子屋さん『備前屋』
ここの『あわ雪』は有名(?)なお菓子ですが、大元は岡崎名物の『あわ雪豆腐』というあんかけされた豆腐で、それを模した形で卵白をゼラチンで固めて豆腐のように見立てたお菓子が『あわ雪』です。
まだ序盤なので荷物になるのが嫌だったので寄りませんでしたが、帰りにどこかで買って行こうと思っていたらすっかり忘れて帰ってしまったのでした
『備前屋』のところから『伝馬歴史プロムナード』といって、いろんな石彫刻が配置されています。
伝馬通の反対側にも彫刻は置かれているので、全部で20体くらいの彫刻があるのかな?
この地図は見やすいね。
スタート地点にもこういうのが欲しかったな
『に』から西へ660mテクテクして
『ほ』
さっきに地図には西本陣跡は「現在映画館」と書かれていましたが、かなり昔に映画館無くなってますから~
あの地図はいったいいつ作られたものなのだろうか…
南へ曲がったところにオカザえもん!?
シャチハタだって!ちょっと欲しいな
60m南下して
『へ』
ん?なんだこれ
ちょっと意味がわからなかったんだけど…
「西京いせ道」は西→京伊勢道ということで、京都。伊勢に向かう道ということだろうけど、「東 京みち」は東京への道ということか?
「きらみち」はその時は何のことかわからなかったのだけど、おそらく吉良道=吉良への道ということだろう。
ずっとこんな感じしといてくれると助かるんだけどなぁ
って言ってる矢先にどっちへ行ったらよいのかわからなくなったぞ!
とりあえず『籠田公園』へ向かって進み始めたら斜めに異質な道筋があって、「あ、テレビで紹介してた道だ!」ってわかったのであった。
っちゅうか、さっきのどっちへ行って良いかわからなくなったところで斜めに折れてるんだけど、あそこはカウントされないのか?
※ちなみに迷ったところが「籠田総門」らしい。
伝馬通の向こうの『籠田公園』は高校生くらいまでに見覚えのある光景とは全く違う公園へと変貌していたのであった。
高校生くらいまでの記憶では公園を斜めに通過する東海道の道筋は無かったはず。
なんか大仰なネーミングが付いてますよ。
お洒落空間と化した公園を縦断すると『籠田総門角常夜灯』
なになに?大正時代に移設したことによって空襲を免れ、再移設で戻ってきたとな。
にしても、ここもまた西へと折れ曲がってんだけど、ココもカウントされないのか?
西へと進んで行くと、かつての岡崎の中心地へ
写真左手の方、一本南の通りが『康生通り』といって、ジャス南ことジャスコ岡崎南店(現在はAEON)ができるまでは岡崎の商業の中心地でした。
『康生』はその名のとおり、家康の生まれた地ってことです。
連尺通の南側を歩いてきたけど、次の曲がり角は道の北側にあったぜ!
『と』
安全をしっかり確認して横断させてもらいますよ。
細道を80m北上すると
『ち』
西へ100mテクテク
『り』
あれ?ここも本町通りなのか?
北へ150mテクテク
『ぬ』
なんだこれ!?
ゴージャスバス停!!
マヂか!?
西へ350mテクテク
『る』
ふむふむ。伊賀川沿いに南下して次の橋を渡るのだな。
やっと天守が見えてきた。
リブラ(図書館)もこうして裏側からマジマジと見るのは初めてかも。
そして、天守からは遠ざかっていく…
『る』からクランクしながら190m
『を』
西へ45mテクテク
『わ』
急に案内標識がしょぼくなったぞ!
細道を南下していくと…
温泉!?
『龍城温泉』ですと!
こんなとこに温泉があるなんて知らなかったなぁ~
南下を続けるとR1にぶち当たります。
当然そこを渡ることはできないので東の信号を渡るか、西の陸橋を渡るかしないといけません。
既に足腰の疲労はかなりのものになっているので陸橋を登るのは相当キツイ!
ってことで信号を渡ります。
天守よ!後で行くから待っておれ~
R1を横断したら西へ
ここはちょっと特殊な道の構造ですね。
R1と歩道の間にもう一本車道が通っています。
この先R1へ合流することもできますし、その先のR248との交差点を通らずに左折してR248へ入ることもできます。
『か』
ここは道標と案内板が離れていてわかりづらいね。
細道を南下すると、懐かしい井戸ポンプが!
これ、水出るのかしら?
おぉ! 親切に次の角を曲がれと案内してくれている。
『よ』
バイクだったら確実に見落とすね。
R248を横断しろと言っています。
『た』
『松葉総門跡』岡崎城西出入口とありますので、岡崎城の縄張りはここまでっちゅうことですな。
それにしても、ここ角度が付いてるようには見えないんだが…
西へ400m進んで、愛環(愛知環状鉄道)をくぐって
『れ』
向こうに見えるのは二大八丁味噌蔵の一つ『まるや八丁味噌』の蔵見学受付。
あっちは『カクキュー』の施設
そして、ここが『二十七曲がりツアー』のゴールとなります。
あら、八名信夫さんの手形だわ。
って、『れ』ってことは17しか無いんですけど~
いろはがあてがわれてない角も数えていっても24前後だし、PDFには「この先も二十七曲りは続きます」と書いてあるし…
先へ進んでみましょう!
「まるや八丁味噌」と「カクキュー」の味噌蔵の間を抜けて西へ
どんつき
ん?
どっち行けばよいんだ?
ここで勘違いをしてしまいました。
京都へ向かっているはずなので、左が江戸だったら右へ行かないといけませんよね。
なのに左へ行ってしまったのです。
どんつき
名鉄に突き当たったところに諏訪神社がありました。
こんなところに諏訪の分社があるとは思わなかったな。
線路沿いの道は岡崎城の方向へ向いていますが車は通れませんし、どこまで続いているかわかりませんので来た道を戻ることにします。
で、本当はさっきの「左 江戸」の所を右に行って、今は無き江戸時代の矢作橋のところまで行ったら本当のゴールでした。
そこまで行っていろはでカウントしてない曲がり角を全部足すとおそらく「二十七曲がり」は完成すると思います。
気付いたのは岡崎公園へ行った後だったのでやり直すには遅すぎました。
これはリベンジしないとイカンかなぁ~
で、もう一つ考えたのは、せっかく家が東海道沿いにあるんだから、家からずっと東海道を歩いて行くってのもアリかも?
うちから根石のスタート地点までは、おそらく4~5kmくらいなので、東岡崎から約2m+家から美合駅までの700mを考えたら、ほんの2~3km増えるだけだもんね。
あるいは
自転車で走破するという手もあるな。
夏場はきついので、冬場とか来年のGWにリベンジしてみましょうかね。
というわけで、【二十七曲がり編】はこれで終了といたします。
次回はトータルの”よしさんぽ”をお送りしたいと思いますので、また見てくださいませ。
静岡市の旧東海道も駿府城の周辺で曲がり過ぎ!
くにゃくにゃでなくて、ガッシャン角々曲がり。
岡崎の案内看板や道標(ミチシルベ)は見やすいですね。
道路に表示だと見にくいし、踏まれて消えかけてます。
by hanamura (2022-05-05 09:20)
平城は道を曲げ曲げするんですね(^^
>hanamuraさん
by よっすぃ〜と (2022-05-07 20:26)